これまで、34年間を生きてきましたが、未だに直せない自分の「弱点」があります。

それは自分が「驕りやすい・調子に乗りやすい」ことです。


人は何か物事がうまくいくと、どうしても“得意”になりやすいものだと思います。特に自分の場合はこれが顕著。少しでもうまく進んでれば「自分はできる」と勘違いをしてしまう傾向にあります。

この性質のおかげで、今ままで散々失敗をしてきました。


「大丈夫だろう」と調子に乗って進めたことが大きなミスを招いたり、根拠なく人に対して「上から」目線での言葉を発してしまったり…

そうしたことが原因で、大きなトラブルになったこともあります。

まあ、それだけ嫌な想いをしてきたので何度も気をつけるうちに、少しずつよくはなってきていますが、未だにその節は見え隠れするんですよね(笑)


ここのところ、正直言いましていろいろな案件がうまく進んでいるのですが、同時に自分の中で「驕り」が生まれていることに気づいたので、今日はこのことを書いています。


人の成長は「驕り」を自分で気づけること


人は、自分の「驕り」の心に自分で気づけるかどうかが、成長のポイントだと思うんですよね。
「今のはどうだったかか、慢心ではないか」「自分は調子に乗って、何かを怠っていないか」。そういた細かいことを日々チェックし改善していくプロセスが成長だと思います。

大人になると、意外とこれができない人が多い。

どうしても自分に都合よく解釈したり、自分の姿を客観視できなかったりするんですよね。ほら、大人になると人から怒られなくなるじゃないですか。あれは、自分ができてるから人から言われないのではなく、人から「ああ、この人に言っても無駄だな」って“あきらめ”られているから、指摘されなくなるんです。

まあ、例えば会社員で上司から怒られるくらいなら、まだ良い環境です。「怒られるうちが華」ってやつですが。フリーランスになろうものなら、自分ができていないこと指摘されることなんてほぼほぼありませんし、パッと契約を切られて終わりです。


驕りと謙虚のバランスもさじ加減が難しい


一方で、「驕り」とは逆の「謙虚さ」が裏目に出てしまうのもダメですよね。たまに「謙虚」を通り過ごして「卑屈」いなる人もいます。
「卑屈」な人は、なんか嫌ですよね。魅力のかけらも見えない。自信がない姿って、人にも良い印象は全然与えないものんです。

「驕り」はダメですが、身の丈にあった「誇り」は持つべきと思います。その誇りは静かな自信を醸し出しますし、信頼感を与えることができます。身の丈に合わないプライド・誇りこそがその人の足を引っ張る訳で。

そう考えると、驕りと謙虚のバランスというのも難しいものです。


自分がちょっと調子に乗っているなと、強く反省したので自戒を込めて書きました。
頭は低く心は高くありたいものです。

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